Tours in Kuril Islands. Kuriles-Tour Co. Ltd.
[an error occurred while processing this directive] [an error occurred while processing this directive] [an error occurred while processing this directive] [an error occurred while processing this directive] [an error occurred while processing this directive]
Main PageKuril IslandsAbout CompanyTours in Kuril IslandsExpeditions
Expeditions

Go!北クリール諸島第1回探検

ホーム  /  探検について  /  北クリール諸島第1回探検

北クリール諸島第1回探検

2003年7月末に最初のカムチャツカークリール探検隊がベルシャーガのもとにつくられた。参加者はカムチャツカ水中活動連盟のコムレフ、火山研究所のバターエフなどである。 10人からなるグループは島でユニークな活動を行った。その基本的な目的はクリール諸島のマツア島での陸上、水中の調査である。 この探検でたくさんの植物、動物の標本を集め、島の地質学的生成の資料を集めた。1939-1945年における日本軍の残したたくさんの軍事技術品を発見した。 水中調査で19世紀末ー20世紀はじめにつくられた、沈没した日本の輸送船を発見した。5日間の水中調査で沈んだ船の位置、深さ、大きさ、状態、それが日本政府のものだということなどがわかった。 またアメリカの潜水艦<ハリエル>が1944年にマツア島水域にいた2隻の日本輸送船を雷撃した証拠がある。日本の沿岸砲台の砲撃によって潜水艦は沈没した。 探検隊によって発見された船は水深9-11mの水路にあって、爆発によっておおきな火事が発生した、とかんがえられる。船体は長さ100m以上、はば15m以上ある。海底から第2次大戦期の日本軍の軍需品が引き上げられている。輸送船は軍事資材、軍需品を運んでいたのだ。

われわれの記者がカムチャツカ技術学校のペルコフスキーに探検の目的や結果をきいた。 ーどうして探検を始めることになったのですか。
ーベルシャーガがこの考えを前からもっていて、島についての資料や情報を集めていて、探検隊をつくったのです。
ー探検はどんな困難にあいましたか。
ー海上で天候が変わるときは大変でした。また、島への上陸もなかなか困難で、風が強く、波が高く苦労しました。すべての湾、トポルコワ島トマツア島の間には巨大なコンブがはえていて、それが長さ70mもあって、茎の直径が5cmもあってモーターボートが進むのに、たえずモーターをもちあげなければなりませんでした。 ー沈んだ船の名前など調べる方法はあるのですか。
ーはい、まず船の名前を確認するためにロシアや日本の資料を調べなければなりません。
ーなにか乗組員の個人的な遺品はありましたか。
ーあまり時間がなくて、それには注意しませんでした。まず船の状態を調べなければならなかったので。
ーこの探検でもっとも印象にのこっているものはなんですか。
ー第一に、この島の美しさでしょう。われわれが島についたとき、ジュール ベルヌの不思議な島の話を連想したぐらいです。
ーなんのためにこの島に日本人の手によって防衛施設がつくられたのですか。
ーいま、われわれは日本人がここにやってきてからのマツア島の全歴史をふりかえることができます。この島はクリール諸島の中央にあって、どこよりもはやくここに軍事施設がおかれたのです。島の防御施設はよくできていて、簡単に接近できなかったでしょう。

 

Top

© 2005 Kuriles-Tour Co. Ltd.

Rambler's Top100 VVV.RU